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ゞ思ひ合せてみずほふなど〈わ脫歟〉ざとはなくて所々にせさせ給ふ。世の中の定なきにつけてもかくはかなくてや止みなむと取り集めて歎き給ふに、二月の十日あまりの程に男みこ生れ給ひぬれば、名殘なく內にも宮人も喜び聞え給ふ。命長くもとおもほすは心憂けれど、弘徽殿などのうけはしげにの給ふと聞きしを、空しく聞きなし給はましかば人笑はれにやとおぼし强りてなむ、やうやう少しづゝさはやい給ひける。上のいつしかとゆかしげにおぼし召したる事かぎりなし。かの人知れぬ御心にもいみじう心もとなくて人まに參り給ひて、「上の覺束ながり聞えさせ給ふをまづ見奉りて奏し侍らむ」と聞え給へど、むつかしげなる程なればとて見せ奉り給はぬもことわりなり。さるはいとあさましう珍らかなるまで寫し取り給へるさまたがふべくもあらず。宮の御心の鬼にいと苦しう人の見奉るも怪しかりつる程のあやまちを、まさに人の思ひ咎めじや。さらぬはかなき事をだに疵を求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにかとおぼし續くるに身のみぞいと心憂き。命婦の君にたまさかにあひ給ひていみじき事どもを盡し給へど何のかひあるべきにもあらず。若宮の御事をわりなく覺束ながり聞え給へば、「などかうしもあながちにの給はすらむ。今おのづから見奉らせ給ひてむ」と聞えながら思へる氣色かたみにたゞならず。かたはらいたき事なればまほにもえの給はで、「いかならむ世に人づてならで聞えさせむ」とて泣い給ふさまぞ心ぐるしき。
「いかさまに昔むすべるちぎりにてこの世にかゝる中のへたてぞ。かゝる事こそ心得難