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り。明くる年のはる坊定まり給ふにも、いとひきこさまほしう覺せど、御後見すべき人もなく又世のうけひくまじき事なれば、なかなか危くおぼし憚りて色にも出させ給はずなりぬるを、「さばかりおぼしたれど限こそありけれ」と世の人も聞え女御も御心おちゐ給ひぬ。かの御おば北の方慰むかたなくおぼし沈みて「おはすらむ所にだに尋ね行かむ」と願ひ給ひししるしにや終に亡せ給ひぬれば、又これを悲びおぼすこと限なし。皇子六つになり給ふ年なればこの度はおぼし知りて戀ひ泣き給ふ。年ごろ馴れ睦び聞え給へるを見奉り置くかなしびをなむかへすがへすのたまひける。今はうちにのみさぶらひ給ふ。七つになり給へばふみはじめなどせさせ給ひて世にしらず聰う賢くおはすればあまりに恐しきまで御覽ず。「今は誰も誰もえ憎み給はじ。母君なくてだにらうたうし給へ」とて弘徽殿などにも渡らせ給ふ御供にはやがてみすの內に入れ奉り給ふ。いみじきものゝふ、あたかたきなりとも見てはうち笑まれぬべきさまのし給へれば、えさし放ち給はず。をんな御子たちふたどころこの御腹におはしませどなずらひ給ふべきだにぞなかりける。おほん方々もかくれ給はず今よりなまめかしう耻しげにおはすればいとをかしううち解けぬあそびぐさに誰も誰も思ひ聞え給へり。わざとの御學問はさるものにて、琴笛のねにも雲居を響かし、すべて言ひ續けばことごとしううたてぞなりぬべき人のおほんさまなりける。そのころ高麗うどの參れるか中にかしこき相人ありけるを聞しめして、宮の內に召さむ事は宇多の帝のおほん誡あれば、いみじう忍びてこの皇子を鴻臚館に遣したり。御後見だちて仕う奉る右大辨の子のやうに思はせ