Page:Kokkaron1905.djvu/15

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運用し得る意志は權力には相違なきも主權者其者が不正義なるものと認めらるゝ時は猶ほ未だ眞正の主權者と見る可らざるなり。權威は人民正義の觀念より斯く感念するに外ならざるなり。吾人は日本の天皇が君臨し給ふことは天地開闢以來の習慣にして正義の觀念に寸毫も抵觸することなきを感知す。然れども支那の天子を以て斯く迄遙かに正義の對象となさゞるなり。況んや春秋戰國の頃の所謂霸者なる者に於てをや。王者は支那固有の思想に據り、人民正義の觀念に訟へ、毫も非難す可きの點を見ずと雖も霸者に至りては兵事に因りて天下を服從する者、吾人は之