Page:Kojiki-gairon1936.djvu/9

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ませる」と讀ませるのだから隨分無理だ。產を「むす」といふのは意味を借りて固有名詞に用ゐたのである。又

次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時。如葦牙。因萠騰之物而。成神名。宇麻志阿斯訶備比古遲神。云々」

「而」を「て」と讀むは「しかして」と連續するのを略したのである。其の當時漢文を讀むものは「而」を「しかして」と讀んで居たのであらう。少くとも「しかして」の意として居たのである。久羅下那洲多陀用幣琉は純然音を借りたのである。又

於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命ニ柱神。修理固成是多陀用幣琉之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立天浮橋而。指下其沼矛。以畫者。鹽許袁呂許袁呂邇畫鳴而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋。於其嶋天降坐而。見立天之御柱。見立八尋殿。於是問其妹伊邪那美命日。汝身者如何成。答日。吾身者成成不成合處ー處在。

 文章としては不十分のものだ。何んとなれば著者の思ふが如くに讀んで吳れろといふことは出來ない。今日の讀み方は恐らく著者の讀まれんことを希望し