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Page:Kojiki-gairon1936.djvu/37

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が殆んど何等の制裁なかりし者の如くである。野蠻人又は古代に於てはトーテム制を始め支那の禮の如く、文明人よりも遙かに繁脞なる裁制があるが、日本の古代は極めて簡單であつた。自然の有のまゝといふても宜い樣なものだ。而も大なる弊害はなかりし者の如く日本には何等の敎訓もなかつたが支那から輸入して之を敎へたのである。國粹論者例へば伊勢貞丈の如きは日本には道が自ら行はれて居て其の必要がなかつたのであるといふて居る。貞丈の言は瘦我慢の樣だが亦一理あるといふべきだ。之を言語上より見るに鹽許袁呂許袁呂にコヲロコヲロに畫き鳴らしていひ、內は富良富良ホラホラ外は須夫須夫スブスブといへるが如き今日の人から見ると不眞面目の樣だが古人に在つては平々凡々の常事であつたのである。

 吾人は古事記を讀んで、今日の文明人がー面は極めて嚴格なる生活をなしながらー面には極めて自由放縱なるとは其の趣きを異にし內外貫平々亘々たるを見る。古事記を讀んで低級なりとなすは誤りである。今日の人の表裏を平均すれば則ち古人と同樣である。文明とは表連の明かなるをいふが如くである。吾人は古事記を讀んで原始的なれども朗かなる心持を感得することとが出來る。