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に合して居る。兎に角古代に於て此種の思想の存在して居たことは注意すべきである。

六 古事記を讀む態度

 左氏傳を讀む時は、吾人は引き締められ壓搾機を以て壓搾せられる樣な感がする。左氏の文章が緊り居るがためである。古事記を讀む時の感は全然之れと違つて居る。汪洋蕩々である。バイブルを讀む時は記事の極めて詳密なるため技巧的繁脞的の感がする。古事記を讀む時の感は全然之れと違つて居る。素朴的易簡的である。

 古事記は其の當時に於て極めて眞面目であり、極めて自然的である。男女ニ神の天の御柱を廻り給ふ時の會話の如き、大國主神、及び其の嫡后等の歌の如き顏を外向けて過ぐべきことも古人に取つては平氣であつたのである。君臣の分は定まり、親子の情は濃かであつたが自然主義が殆んど古人を支配しつゝ、あつたが如くである。同母のものの結婚は禁ぜられて居たがヘブライでも亦同じだ。其の他於ては凡て