Page:Kojiki-gairon1936.djvu/34

提供:Wikisource
このページはまだ校正されていません

惡みガンデス河に投じで淨める。所によつては其の水は極めて不潔なるも、河其者を以て神聖となし居るのである。マレイ人が宗敎の祭日に於て川に入るも亦是れである。フイリッピンに於ても亦此風がある。佛敎の灌頂が其の遺風なることはいふ迄もない。支那に於ては堯天下を許由に讓らんとす。由が聞いて耳を洗ふたといふ。川にて身體を洗ふことが同時に精神を潔くすることになつて居るのである。日本に於いては男神、女神の死せる室に入りて歸り

吾はいなしこめ、しこめき穢き國にいたりありけり。故に吾は御身の禊ぎせな

と詔りたまひ筑紫日向の橘小門の阿波岐が原に坐して禊祓せられたことがある。禊祓は日本の根本的なる觀念の一つである。何事によらず穢れを惡む。生々を尙ぶ所の日本人としては死を惡むこと亦太甚だしい。天若日子が死んだ。父母妻子等悲んで喪屋を作りて居る。阿遲志貴髙日子根神が弔問に來た。其の容貌天若日子に類せるを見て、父母妻子誤つて死せずとなした。髙日子根神怒りて何んぞ吾を穢き死人に比するといひて十掬の劎を拔いて共の喪屋を切り伏せた。