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Page:Kojiki-gairon1936.djvu/33

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寺の女房を大黑といひ、大黑天の頭巾は男根を示めし居ること及び家の中央の柱を大黑柱といひ、更に神社の中心の柱は地中より立つることなどは併せて考ふべきだ。

 道德上より之を見るに支那には男性を尊ぶ所の儒敎と女性を尙ぶ所の老敎とがあつた。前者は陽を主とし、後者は陰を主とする。佘は思ふ。前者は男根崇拜を代表せる敎義であり、後者は女根崇拜を代表する敎義である。前者は表面的であり、後者は裏面的であると。天の御柱を立つる所の日本の道徳は儒敎に類して居る。故に先づ男性を尙ぶことを敎へて居る。女神が男神に先き立つて言へるがために不良の子が生れたといふ。此れにて日本道德の大綱は定まつたるものといふべきである。

五 禊祓のこと

 川に入て身體を淨むるはヨハネがイエスをジョルダン河に沈めたのに由りてへブライにもあつたことが分る。洗禮は其の遺風である。印度人も亦穢れを