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Page:Kojiki-gairon1936.djvu/20

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爲に歸し、終に宗敎國民となり了つた。吾が國は之を自然に歸し、後に發生せる神々の偉大なる行爲を認めた。之れがため現世的國民となり了つた。へブライは古に古に溯りて神の大なるあり、吾が國は後に向つて現世を發達せんとする。斯く相ひ異なるにせよ。ニ國民共に其の神話的傅說の正大なるを見るのである。

彼の支那の如きは神話としては極めて貧弱であり、其の上天皇地皇人皇の傳說はあるが以上の如き正大なるものはない。希臘の神話に於ても吾人は天地の創造より諸神の發生に至るを見る。而も吾が國と同様宇宙の自然的生々を認め、其の結果として一切が創造せらるとなすのである。けれども希臘に於ては之を以て民族の由來を說明するの觀念が甚だ乏しい。古事記の如く代表的で自主的精神を示めす者がない。(へシオドス(Hesiodos)の詩、Theogenie(神の系譜)及びー般にホメーロスの詩は古來の傅說であつて又後世希臘の神話を論ずる者の資源である)而してホメーロスの詩は國民的自負心の對象ではあるが詩其者としての大作であるのみで、國家の由來を說明する者としての神話の自負すべき者がない。少くとも其の書物がないのである。是れ亦吾が國と大に同からざる所である。