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Page:Kojiki-gairon1936.djvu/16

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是れである。髙御產巢日神と神產巢日神とである。產巢(むす)は「苔むす」の「むす」で卽ち生產發生を意味する者である。更に之を分析すれば「むす」の「む」は「うむ」の「む」である。英語の子宮(womb)と發音が似て居る。堀秀成及びヴント流にすると何等か關係があるかも知れないが明かでない。

註に曰く。堀秀成とヴントとを同列にするは吾輩も似合はないやうだがー理あるのだ。堀秀成は音韻に付いて感情的綜合的判斷を下したもの。ヴントは勿論硏究的態度を取れる者。其の著民族心理學(Volkerpsychologie)言語の部に見ゆ。兩者共に言語の意味を發揮せんとした。此點に於てー致して居る。堀秀成の書は三十餘年前余ら全部筆寫して余が家に藏して居る。

 生々は自然である。神爲又は人爲とは違ふ。へブライに於ては唯一の神あり是れが一切を創造したのである。今其の創造の過程を取りて之を日本のそれと比較するは興味あることである。創世的の冒頭に曰く。

始めに神天地を創造たまへり。地は定形なく嚝空くして黑暗淵の面に在り、神の靈水の面を覆ひたりき。神光あれと言ひたまひければ光ありき。神光