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Page:Kojiki-gairon1936.djvu/13

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に由りて發生したのである。宇宙は不斷の生々的過程にあるのである。

 生々が根本的過程をなして存在することは古代の一般思想であつた。「成りませる神」といふもの頗る多い。「生ませる」といふと「成ませる」といふは自然と人爲との差があるが「生みませる」を「なりませる」と訓んだ所もある。男女ニ神が生んだとすれば人爲的だが身體各部の上に生成したりと見れば自然的である。卽ち自然的生々の觀念を窺ふことが出來る。例へば伊邪那美神が火之迦具土神を生みたまへるに因りて美蕃登炙かえて病臥せられし時のこと

多具理に生ませる神の名は金山毘古神。次ぎ金山毘賣神。次ぎに尿に成りませる神の名は波邇夜須毘神。次ぎに波邇夜須毘賣神。次ぎに尿に成りませる神の名は彌都波能賣神。次ぎ和久產巢日神。

とあるは明かに生々的過程を標徵するものである。又男神十拳劎を拔いて其の子迦具土神の頸を斬りたまひし時

其の御刀の前に着ける血、走つて湯律石村に就いて成りませる神の名は石拆神。云云次ぎに石筒之男神。云云次ぎに御刀の本に著ける血も亦走つて湯