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敷島の日本の國は事靈の佐くる國云云

 如何に古人が言語を靈妙視したるかを知るべきだ。是の故に其の國語を廢するは國民プライドの根柢を奪ふことになり、重大問題だ。日本の歷史が耳で聞けば日本の言葉、目で見れば一種特有の文體で書かれてあるといふことは日本の自主獨立的態度を象徴したりといふべきである。

二 生々思想と宇宙發展の次第

 外國語の自然(Nature)は拉典語の「生む」Nascorから出たもので、生々發展を意味する。外國にても宇宙は生々發展の狀態にあるといふ觀念は昔しからあつたのである。日本人も昔しから此の觀念を有つて居たのである。古事記の開卷第一に天地の初發の時に成りませる神の名は云云とあるのは卽ち之を示めすものである。殊に其の次ぎに葦牙の如く萌え騰る物に因りて成せる神の名はとあるのは葦牙の如く自然に生々せる物を其體として神が生れ出たといふので最も善く生々觀を窺ふことが出來る。神自身が生々的過程(becoming process,Werden Vorgang)