惣太の経験
一
彼は仲間には気早の惣太で通っていた。彼の本姓を知りたい人は警視庁へ行けば、指紋と共にちゃんと分る筈であるが、姓などは彼自身さえ必要に迫られて時折思い出す位なもので、この話には関係がない。
惣太は生れつきのあわて者で、驚くべき気早である。ある時彼は銀行へ忍び込んで、金庫の前の金網戸を開けた。中へ這入って文字盤を出鱈目に引搔き廻していると、金庫が彼と共にスーと上へ昇った。彼はエレべーターの中へ這入っていたのであった。或時彼は或る家の雨戸をこじ開けて忍び込んだ。廊下の突当りに箪笥があったので、力委せに押破ると彼は外へ出てしまった。箪笥と思ったのは戸袋だったのである。――こんな話が仲間内に誠しやかに伝えられる程彼はあわて者であった。多分こんな話は作り事で、現に惣太は銀行の金庫を破る程の高級な盗人でない事は分るが、手提金庫だと思って鉄瓶を提げて来たり、ラジオのラッパの積りで水牛の角を攫ったりする事は、彼にとっては朝飯前であった。こういう粗忽者が永年泥棒を働いて、稀にしか捕まらなかったのは、一に彼の幸運に