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帰すべきだが、彼が生活のためにしか盗みをしなかった事も大きな原因である。

 生活のために盗みをすると云う事は大して楽な事ではなかった。もし惣太の父親が盗人でなく、母親が父親の刑務所入りの留守中、何か生活を支持すべき仕事があったか、又は彼が両親に死に別れてから、仲間に羽振りの利く親分に養われなかったら、彼は何か別の職業を撰んで愛嬌者と唄われて一生を送ったかも知れない。もっとも彼は一度正業につこうと思って、一日土方をやって見た事がある。けれども恐ろママしく力の要る仕事で、それに朝から晚まで、コツコツ穴を掘っている様な単調な事は、彼はとてもやっていられなかった。彼は豆だらけの手で、一品料理屋の出前持になった。ところが彼は配り先を間違えてばかりいた。その上集めに行く段になると、配り先をケロリと忘れていた。それで、二日目にむこうから断られてしまった。彼はむなく彼には一番適した夜盗を生業なりわいにした。その代り彼は貪らなかった。かなり倹約つつましい生活をして、金がなくなると、威勢よくかせぎに出かけた。

 或る時、惣太は洋館に忍び込んで見たいと云う慾望を起した。別にどうと云う理由もなかったが、洋館に這入って見たくなった。後には洋館にはどうかすると西洋人が住んでいて、西洋人と云うものは家中に無暗に錠を下して、ややともするとピストルを打放ぶつぱなすものであると云う事が分ったので、滅多に這入って見たいなどとは思わなくなったが、その時は何分始ママめての事であるし、とにかく這入って見たくなったので、彼は昼間目星めぼしい洋館を物色して歩いた。で、上野公園の奥、鶯谷うぐいすだにの方へ出ようとする所に、こんもりと森に囲まれた、三軒の同じような建て方の洋館を発見して、大嫌いな犬がいない事を確めると、忽ちその真中の家に這入ってやろうと決心した。

 上野の森の夜は早く来る。殊に時に二月の末で、寒さが未だきびしい折だったから、十時過ぎにはもうこの辺を通る人はない。さっきから待ち草臥くたびれた気早の惣太、もうたまらなくなった。そっと低い石垣を乗り越えて建物にちかづくと、コツコツと窓の辺で音を立てていたが、忽ちヒラリと中へ躍り込んだ。

 飛び込んだ所は、もとより勝手などを知っていたのではないが、かなり広い部屋で客間らしかった。懐中電燈で照らして見ると、壁には大きな額が懸かっていて、床には厚い絨緞が敷きつめてあり、ドッシリとした調度が、惣太の眼にはかなり賛沢に思われた。彼はホクホク喜びながら、いきなり煖炉の前の棚に乗せてある黄金きん色をした置き物に手をかけた。その時である。部屋の電燈がパッと点いた。

 惣太の狼狽は気の毒なようであった。彼は洋館の電燈は戸口にあるスイッチで、外から点けられるものだと云う事を知らなかったのだ。続いてドアの外の話声を耳にすると、彼は無我夢中で窓際の長椅子の下に這い込んだ。

 彼が長椅子の下で腹這いになって、息を凝らしていると、ドアの開く気配がしてコツコツと足音が響いた。二人らしい。その人達は長椅子にちかづいたかと思うと、いきなりその上へドシンと腰を下したのである。長椅子は御承知の通り、バネがついていて、腰をかける人にはフワフワして気持のいいものだが、バネは上から重みが加わるにつれ、幾分下へ出張る事になつているから下に潜っている人には不愉快千万で、惣太は押し潰されたかわずのように手足を伸びる丈伸ばして、腹を床にピタリとつけるより仕方がなかった。それでも上でフワフワする度に、コツンコツンと背中へ堅いものが当る。

 腰をかけたのは一人は洋服を着た男に違いなかった。揃えた足が二本彼の鼻先でじっとしている。他に二本、これも人間の足には違いないのだが、床の上二三寸の所を、まるで章魚たこの足のようにピンピン跳ねて、惣太の鼻先をかすめる、その度に彼は、せいぜい五分位しか動かす余裕のない顔を、一生懸命に引込めて、それを避けねばならなかった。始めは素足かと思ったが、薄い肉色の絹の靴下を穿