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Page:Inpukyo 1912.djvu/9

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之を調伏するに勉めざる可らず。人の世に生活するに當り最も人心を亂す所の者何んぞやといふに即ち九竅に外ならず。兩眼兩耳と鼻孔二、口及び大小便の穴各一と、是れなり。是れあるがために心は外物に制せらる。故に邪と謂ふ。殊に甚しきは耳目口の三者り。之を三要と云ふ。耳は聲を受けて心をして之に傾注せしめ、目は色を容れて心をして之に傾注せしめ、口は味を知りて心をして之に傾注せしむ。此等の竅を塞ぎ人心をして動かざらしむるもの是れ實に精神修養の第一義り。而も絕對的に之を塞ぐこと能はず。故に動くべき時に動かし靜かるべき時に靜からしむ。即ち可以動靜と言ふ所以り。凡そ道家の理想は內親反聽に在り。外を見ずして內を視、外を聞かずして內を