Page:Iki-no-Kozo.djvu/94

提供:Wikisource
このページは校正済みです

く西洋風の露骨さと反對の方向を採󠄃つてゐる。そこにまた素足の「いき」たる所󠄃以がある。

 手は媚態と深い關係をもつてゐる。「いき」の無關心な遊󠄃戲が男を魅惑する「手管」は單に「手附」に存する場合も決して少なくない。「いき」な手附は手を輕く反らせることや曲げることのニユアンスのうちに見られる。歌麿󠄃の繪のうちには全󠄃體の重心が手一つに置かれてゐるのがある。しかし、更󠄃に一步を進󠄃めて、手は顏に次󠄄いで、個人の性格を表はし、過󠄃去の體驗を語るものである。我々はロダンが何故に屢々手だけを作つたかを考へて見なければならぬ。手判󠄄斷は決して無意味なものではない。指先まで響󠄃いてゐる餘韻󠄃によつて魂そのものを判󠄄斷するのは不可