Page:Iki-no-Kozo.djvu/95

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能ではない。さうして、手が「いき」の表現となり得る可能性も畢竟󠄂この一點に懸つてゐる。

 以上、「いき」の身體的發表(一二)を、特にその視󠄃覺的發表を、全󠄃身、顏面、頭部、頸、脛、足、手に就て考察した。およそ意識󠄂現象としての「いき」は、異性に對する二元的措定としての媚態が、理想主義的非現實性によつて完成されたものであつた。その客觀的表現である自然形式の要󠄃點は、一元的平󠄃衡を輕妙に打破して二元性を暗󠄃示するといふ形を採󠄃るものとして闡明された。さうして、平󠄃衡を打破して二元性を措定する點に「いき」の質料因たる媚態が表現され、打破の仕方のもつ性格に形相因たる理想主義的非現實性が認󠄃められた。