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(六)我々が問題を見てゐる地平にあつては、「いき」と「粹」とを同一の意味內容を有するものと考へても差支ないと思ふ。式亭三馬の「浮世風呂」第二編卷之上で、染色に關して、江戶の女と上方の女との間に次の問答がある。江戶女「薄紫といふやうなあんばいで意氣だねえ」上方女「いつかう粹ぢや。こちや江戶紫なら大好/\」。卽ち、「いき」と「粹」とはこの場合全然同意義である。染色の問答に續いて、三馬はこの二人の女に江戶語と上方語との巧みな使ひ別けをさせてゐる。のみならず「すつぽん」と「まる」、「から」と「さかい」などのやうな、江戶語と上方語との相違に就いて口論をさせてゐる。「いき」と「粹」との相違は、同一內容に對する江戶語と上方語との相違であるらしい。從つて、兩語の發達を時代的に規定することが出來るかも知れない(元禄文學辭典、近松語彙參照)。尤も單に土地や時代の相違のみならず、意識現象には好んで「粹」の語を用ひ、客觀的表現には主として「いき」の語を使ふやうに考へられる場合もある。例へば「春色梅曆」卷之七に出てゐる流行唄に『氣だてが粹で、なりふりまでも意氣