Page:Iki-no-Kozo.djvu/34

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レウスは『そのスラリと長い脚で』無限に龜に近迫するがよい。しかし、ヅエノンの逆說を成立せしめることを忘れてはならない。蓋し、媚態とは、その完全なる形に於ては、異性間の二元的動的可能性が可能性の儘に絕對化されたものでなければならない。「繼續された有限性」を繼續する放浪者、「惡い無限性」を喜ぶ惡性者、「無窮に」追跡して仆れないアキレウス、この種の人間だけが本當の媚態を知つてゐるのである。さうして、かやうな媚態が「いき」の基調たる「色つぽさ」を規定してゐる。

 「いき」の第二の徵表は「意氣」卽ち「意氣地」である。意識現象としての存在樣態である「いき」のうちには江戶文化の道德的理想が鮮かに反映されてゐる。江戶兒の氣慨が契機として含まれ