Page:Iki-no-Kozo.djvu/150

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解されなければ眞󠄃の會得ではない(二〇)。體驗としての存在樣󠄂態が模樣󠄂に客觀化󠄃される例としては、ドイツ民族の有する一種の內的不安が不規則的な模樣󠄂の形を取つて、旣に民族移住時代から見られ、更󠄃にゴシツクおよびバロツクの裝飾󠄃にも顯著󠄄な形で現はれてゐる事實がある。建󠄄築においても體驗と藝術󠄃形式との關係を否み得ない。ポール・ヴアレリーの「ユーパリノス或ひは建󠄄築家」のうちで、メガラ生れの建󠄄築家ユーパリノスは次󠄄のやうに云つてゐる。『ヘルメスのために私が建󠄄てた小さい神󠄃殿、直ぐそこの、あの神󠄃殿が私にとつて何であるかを知つてはゐまい。路ゆく者󠄃は優美な御堂を見るだけだ――僅かのものだ、四つの柱、極めて單純な樣󠄂式――だが私は私の一生のうちの明るい一日の