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Page:History of the Kingdom of Serbs, Croats and Slovenes.djvu/30

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年四月二十八日本問題ノ伊國內ニ喧シキ時L'Idea Nationaleハ無邪氣ニモ伊太利ノ本心ヲ吐キテ曰ク『地中海︀ニ吾人ノ總テノ努力ト注意トヲ集中スル爲メ「アドリアチツク」問題ヲ決定的ニ解決セサルヘカラス』ト又『地中海︀ハ伊太利ノ海︀タラサルヘカラス』ト又「ミラン」ニ於ケル「ムツソリニ」ノ演說ニ見テモ其ノ意圖ヲ察スルコト難カラス而シテ之ニ對スル「ユーゴー・スラヴ」ノ反抗心ハ固ヨリ激シク千九百十五年五月三十一日「ダルマシア」ノNase Jedinstovo氏ハ『伊太利ノ支配下ニ屬センヨリハ支那ノ屬領タランノミ』ト絕叫セルニヨリテモ明ナリカクテ本問題タルヤ其ノ溯ル處遠ク又コレ自然ノ勢已ムヲ得サル處ナルカココニ新興王國ノ將來ヲトスルニ其戰勝ニ醉フテ軍閥ノ專橫ヲ許スコトナク又戰爭ノ準備ニノミ急ナリシ人民ヲシテ平和的發展ヲ計ラシメンカ彼等ノ前途正ニ洋々タルモノアリト云フヘシ