國代表者ニ通達セラレタリ其ノ內容ハ先ツ數世紀ニ亙ル彼等ノ努力ヲ述ヘシ後、國名ヲRoyaume des Serbes, Croats〔ママ〕 et Slovènesト稱スルコト、立憲君主政體トスルコト、Alphabet Cyrillique及ヒAlphabet latinヲ倂用シ同樣ノ效力ノ下ニ各人之ヲ使用シ得ルコト、既ニ確認セラレタル宗敎禮拜ハ自由且公然ニ之ヲ行ヒ得ルコト、王國ノ領土ハ三種族密集連續シテ住居スル地方ヲ包ムヘキコト、「アドリアチツク」海︀ハ總テノ民族ニ等シク開放セラルヘキコトヲ宣明セリ
大戰勃發後墺洪國ノ議會ハ開カレサリシカ露國革命ノ後維納ニ於テ三年目ニ開カレココニ於テ「ユーゴー・スラヴ」議員ハ合法的ニ其要求ヲ述ブルコトヲ得タリ其ノ開院式ニ當リ(千九百十七年五月三十日)「ユーゴー・スラヴ」倶樂部ノDr. Korochetzハ帝國議會ニ議席ヲ有スル「ユーゴー・スラヴ」議員ノ名ニ於テ次ノ宣言ヲナセリ
『「ユーゴー・スラヴ」倶樂部ヲ組織セル下記署名議員ハ民族主義及「クロアート」ノ有スル權利ニ基キ「ユーゴー・スラヴ」ノ住居セル王國ノ全地方カ外部ヨリノ總テノ權力ノ外ニ「ハプスプルグ」王朝下ニ獨立國ヲ建設センコトヲ要求ス本員等ハ本要求ノ實現ニ全力ヲ盡スヘキヲ宣言ス下記署名人ハ此ノ留保ヲ爲シタル後ニ議會ノ事業ニ參集スヘシ』
宰相de Seidlerカ六月二十七日之レニ反對ノ趣意ヲ洩セル演說ヲ爲セシニ拘ラス「ユーゴー・スラヴ」議員ハ寸時モ其ノ活動ヲ止メス「ブレスト・リトオスク」ノ會議ノ際ニモ其參加ヲ求メタリ上記宣言中、「ハプスプルグ」家ノ下ニ云々ノ言ハ勿論彼等ノ本心ニアラス之レニ依リテモ墺國政府ノ壓迫ト彼等ノ苦衷トヲ察スルヲ得ヘシ千九百十八年九月二十四日「ユーゴー・スラヴ」三族代表Zagrebニ會シ國民憲章トモ稱スヘキモノニ調印シKorochetzハ之ヲ十月二日墺太利王國議會ニテ朗讀セリ此ノ宣言ハ五月三十日ノ宣言ト關聯シ「ユーゴー・スラヴ」ニ民族的獨立ヲ與ヘラレ國際聯盟ノ一員トシテ人類奉仕ノ爲メ努力センコト竝ニ平和會議ニ參加セシメラレンコトヲ要求セリ「ボスニア・ヘルツエゴヴイナ」住民モTisza伯ニ同樣ノ希望ヲ示セル覺書ヲ提出セリ十一月七日「クロアシア」「ダルマシヤ」「アストニア」「ステイリア」「ボスニア・ヘルツエゴヴイナ」「カリンシア」及ヒ「ゴリース」選出「ユーゴー・スラヴ」議員ハZagrebニ會シ「ユーゴー・スラヴ」國民議會ノ構成ヲ決議シ同時ニ實行委員ヲ選出セリ該宣言ニハ三種族ノ代表的人物ヲ網羅セリ卽チConseil National Slovène, ノ Ante Pavelitch〔ママ〕,「クロアート」農民黨ノStiepan Raditch〔ママ〕, 塞比亞急進黨ノGeorgie Krasaievitch〔ママ〕等之レナリ又實行委員會ハMrg. Korochetz, (スロヴエヌ)Dr. Pavelitch (クロアート) Svetozar Privicevitch (塞比亞)ニ依リ構成セラレタリ
該委員會ハ國民宣言中ニ於テ「シヤール」帝ノ聯邦組織案ヲ排シ既存ノ政治的國境ヲ參酌スル