心鏡、くもりといふはこれのみなり。さればとて世に媚び人に媚ること、生をかへぬ限りならぬ質、我れより頭下ぐること、金輪奈落いやといふ一点ばりに、頑物の名高くなるほど、我慢と意地は満身に行わたりて、入れられぬ世と弥々うしろ向きになる心。「見をれこの腕なにが住むか、一飛得意の暁には」と、人も聞かぬ大言はきて、纔かに熱腸を冷やす物の、さても諸道のさまたげと言ふ、貧より外に伴侶のなき身、その得意の暁いつとか待たん。弥勒の出世と並らべ立てゝ、甲乙のなき物よと思ふに、口惜しの念胸をさして、瞼の合はぬ夜半も多かり。
寐ぬに明けたる或る朝、おく庭草の露を見て、亡師のことふツと思ひ出し、俄かに寺参り仕度なり。垣根の夏菊無造作に折りとつて、お蝶が暫時と止むるも聞かず、朝飯まへに家を出けり。
寺は伊皿子の台町なれば、さまでには遠くも非ず。泉岳寺わきの生垣青々とせし中を過ぎて、打水すゞしく箒木目のたつ細道を、がらりがらりと百足下駄に力を入れて、纏はる片裾うるさしと、捲くり上ぐるや空臑あらはに、何の見得もなく、身は小男の面ざし醜くからねど、色黒々と骨だちて、高き鼻しまりし口、眼ざしぎろりと青く凄く、沈鬱の症何処か淋しく、紺薩の古手に白兵児の姿。懐中に建白書相応なれど、右手に持つ夏菊の花の色、流石にやさしき処も見えけり。
心凝つて見る目には、映るものも映る物も皆その色、細づくりの格子戸まへに、米沢数寄屋
の肌つき美くしき人、黒繻子の帯腰つきすつきりとして、芙蓉の面に淡彩の工合、楊柳の髪に根がけの好み、「さても美かな、さても美かな。この美にすさむ心がけを我が陶画の上に移して、共に協力の友を得たし」と、茫然自失ながめ入れば、「あれ薄気味の悪るき人」と、逃こまれて、我れながら、取りとめなき考へ馬鹿らしく、振むきもせず又五六歩、三歳ばかりの男の子のちよろ〳〵と馳せ出しが、袖なし浴衣の模様は何、籬に菊の崩し形か、それよ今度の香炉にあの書き廻しも面白かるべし。注文は龍田川とか、何の我が腕で我が書くに、入らぬ遠慮究窟くさし。先師の言付より外は他人の意見いれたことなき籟三、「身貧に迫つて意を曲ぐるなど嫌やな事なり。さりながら我れ頑物の兄故に、世の人並みのこともせず、米味噌醤油に追ひ遣はるゝお蝶、思へば兄風も吹かされねど、成り行と諦らめてゐてくれる様子。それもそれなり、時運めぐらば何時かは花も咲くものよ、衡門に黒ぬり車出入させて、奥様と尊めらるゝやうになるも不思議はなし。鳴呼その衡門よりは、天晴れの人物えらびて添はせたきもの」と、何がなしに案じてふツと仰げば、今も想像の衡門に、篠原辰雄といかめしき表札。「さても立派の住居かな。主人公はどんな人、身分はいかに。愛国の志しある人ならば、日本固有の美術の不振、我が画工疲弊の情、説かば談合の膝にも」と、夢知らぬ人に望みを属す、狂気の沙汰に心もつかず、あれを思ひこれを思ひ、何時とはなしに坂も登りぬ。
寺門くゞり入れどお僧どの寐坊にや、まだ看経の声もなく、自然の寂寞境に、あさ風さつと松に吹いて、身にしみる心地何とも言へず。本堂をめぐりて裏手の墓処へと、手桶の幷らぶ阿伽井のもとを過ぎる時、
「入江様、しばし」
と呼止める声、少し覚えのと顧見れば、つか〳〵と馳せ寄つて、物言はず大地に両手を突く男、