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提宇子云、此のDsデウスは現當二世の主、賞罸の源也。されば主はありても、現在の善惡の業により、當來にて賞罸に預るべき者は、何ぞと云ふことを知ずんばあるべからず。總じて色形ある物は、人畜艸木皆終ありて、燒ば灰、埋めば土と成、後生にいき殘て苦樂を受ん者は何ぞと敎ゆべし。然れば精魂に品々あり。先草木の精をば、アニマベゼタチイワと云。アニマベゼタチイワと云は、生成榮枯、飛花落葉の用のみ備へたる精命と云ふ義也。又禽獸の精命をば、アニマセンシチイワと云。アニマセンシチイワとは、生成の用のみならず、知覺運動等の用を具したる精命也。喩へば鳥雀の鷹を見ては己が敵也としり、飢渴痛痒等を覺ゆる精命なり。右二のアニマは、色相より出て色相のみに當る用をなす精命なれば、色相の四大に歸る時は、つれて滅する命根なり。さて人間の心をば、アニマラシヨナルと云。此ラシヨナルと云アニマは、右二のアニマの用のみならず、是非を分別するをラシヨナルアニマと云也。此ラシヨナルアニマは、色相より出ず、却て色相を制し、スヒリツアルスヽタンシヤとて、無色無形の實體なり。色相より出ずと云ふ道理は、人間も色相ある者なれば、飢渴寒暑を覺るは禽獸に違はず。然れば飢に臨では食せんことを欲すれども、玆にてくらはゞ耻辱也と思ふ時は死すれ〈一本レヲルニ作ル〉どもくらはず。又戰場に於て身は退かんことを思へども、逃て後に指をさゝれんよりはと義理を思ひて、いやがる身に我と討死をさするを以ても、アニマラシヨナルは色相よ