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り出ず、
破して云く、右三品のアニマを擧て銘々に名付、各々に之をとく。就㆑中人間のアニマはラシヨナルとて色身より出ず。Dsより各別に作られ、現世の業に隨て、後生にて苦樂を與へらるゝと云ふ。あゝ哀なるかな、提宇子の眞理を知ざること。あゝ悲ひ哉、吾朝の凡夫此異端に惑せらるゝこと。我眞理を說て汝に聞せん。總じて万物に事理の二あり。這事あれば此理なくて叶はず、此理を賦命と云。千差万別の物ありといへども、理に〈一本ニヲハニ作ル〉二もなく三もなく、唯一の理也。用の差別は事の品々に隨ふ。一味の雨は理、千差の器は事也。譬へば天油然として雨を降すに、諸器を出して是をうく。雨水には長短方圓の相もなく、香臭の氣もなく、淸濁の義あらず、甘苦等の味もなしといへども、方圓、五味、香臭、淸濁等も、皆器の方圓、善惡、淨穢のまゝに任す。去れば賦命も亦如㆑斯。氣質の淸濁厚薄の不同に依て、用も同じからず。何ぞ、ベゼタチイワ、センシチイワ、ラシヨナルなどゝ、其理を各々に分たんや。別して人間の心は、アニマラシヨナルと云て、各別の物なる故に、身欲を制すると云を究竟の理として、諸家には不㆑知㆑之と思へり。誠に管見の第一也。儒家には氣質の