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めたか、この点が大切なのだ。自殺者達の直接の動機を指摘して、その下らなさを笑つて満足してゐられる者には、先づ自殺を語る資格がないといつてよい。

 次に療養所文芸の発展策だが、実を云ふと、僕もこの質問を受けた一人なのだ。しかし、本当のところを云つて、僕はこの質問に答へる用意がてんでないのだ。といふのは僕は今まで一度も療養所文芸といふものを書きたいと思つたことがないし、また書いたこともない有様なのだ。今後も僕は自分が小説を書いて行けるかどうか疑問だが、兎に角書けるものとしても、それが療養所文芸といふものでは多分ないだらうと思つてゐるし、やつぱりそれに書きたくもないのだ。

 かう書くと、思ひ上つてゐるとか、生意気だとか、まあそれに類した非難があるのは僕も承知してゐるが、しかしよしどのやうな非難があるにしても、僕はこの場合も出来る限り正直に述べるより他に手を知らぬ。


 といつて、僕は決して療養所内に同人雑誌が生れることに反対するのではない。それどころか、僕は大いに賛成であるし、またかうした同人雑誌によって新しく強力な作家が出現することにも大いに期待するものだ。ただ僕の云ひたいことは、かうして生れた雑誌から、療養所文芸とか癞文芸とかいふ文字を一切抜きにして、よろしく単なる文芸雑誌にして欲しいのだ。つまり、癩院から出る雑誌だから、癩者の書いたものだから、何か特別に光つてゐるかも知れない、といふ風な色気を全然拔きにするのだ。癩といふものは、性病とか、胃病とか、睾丸炎とか、まあそんなものと同じやうに、単に一つの病気の種類なのだ。そりや癩はたしかに他の病気と較べれば物凄いところがあるが、しかしそれは比較した上の五十歩と百歩との相違に過ぎない。もし癩者の書いたものが癩文学なら、結核者の書いたものは肺文学、胃病者の書いたものは胃文学といふことになつてしまふではないか。もしさうだとすると、ドストエフスキーはてんかん文学、夏目漱石は胃文学、ストリンドベリーママは発狂文学――やれやれ。


 兎に角癩患者も、もういいかげんで自分の病苦を自惚れるのをやめたいものだ。

 「現実は苛酷なものだよ」といつて苦が苦がし気に横を向いた小林秀雄氏の言葉を、僕は時々思ひ出す。自分のことを云ふのは少々てれ臭いが、これは阿部知二氏が僕の病気のことを云つた時、小林氏の阿部氏への答へだ。あの男が癩であらうが盲目になつて小説が書けなくなるやうにならうが、俺の知つたことか、要するに現実は苛酷なものなのさ――といふ風な意味なのだ。これに対して僕は何と答へたら良いか、からからと笑つて相槌でも打つて見るより仕方はママないではないか。


 新しい文学といふものは、新しい人間像の発見から始まる。フロオベル、ドストエフスキー等のあの文章苦も、彼等の発見した新しい人間像を定着させるための苦心だと、中村光夫氏が「文芸」六月号で云つた。新しい人間像を自己のうちに有たぬ限り、現代の作家は筆を折るべきではないか。単に癩患者を見ただけで、新しい人間を発見したやうな早合点は、これはつまり滑稽といふものだ。無論これは他人に向つて云つてゐるのではない、つまらない、ちつぽけな、僕の覚悟のやうなものだ。

「科学ペン」三月号 (一九三八年)