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トの「愉みとその日その日」の中の一篇に示された少年少女のやうな気持で人生を夢見ることが出来るなら、ああ、自分もあの少年のやうに窓から身を躍らせるのだけれど。


 九月二十日。

 起きると六時十分前だ。貌を洗つて散歩に出る。東の空が紅らんで美しい朝焼けに、自分の面もそれを反映して処女のやうにあからんでゐるかも知れぬと思つて楽しい微笑をする。――とは、なんと自分らしくもないことか! 垣根の向うの深い木立の間を朝霧がゆらゆらと流れて、奥深い仄暗さを有つて、横山大観氏の絵のやうだ。空の朝焼けと優に勝れた対象ママを示して、澄み切つた朝の空気との冷々した感触に、この地に来て初めての美しい自然を味はつた。

 八時が過ぎて皆んなが仕事に出て行くと、自分はぽつんと広い部屋に残つて『文学の考察』といふ本を読んでゐたけれどそれも嫌になり、ぶらぶらとXさんの所へ遊びに行く。XさんはM新聞の社会部長をやつてゐた人で、もう三十六になる。実家には二人も子供があり、奥さんは氏の帰るのを待つてゐるとのこと。それだのに氏は癩のために右手を奪はれて、文字を書くにも左でなければ書けず、それに肺病に罹つて、苦しんでゐる。

 氏と三十分程も語る。

 夕方雨になつて降つたり止んだりのじめじめした時が続く。

 三時半頃父が面会に来る。久しく会はなかつた父は大変年寄つてゐるやうに見えて淋しかつた。


 九月二十一日。

 嵐の一日であつた。今月に這入つてからからりと晴れ亘つた秋らしい日がなく毎日陰鬱な日が続いてゐると思つてると、今日こそはその凡てを清算するかのやうに凄い風雨が荒れ狂つた。

 北の窓から眺めてゐると、プラタナスの葉が今にもたおれさうに強風に萎えて額を地に曲げられて、あはやと思ふと、再びすつくと立ち上つて、さながら風に怖れたやうに、葉と葉をすり合せて悲鳴をあげ、小枝は顫へて切なさうだ。


 九月二十九日。

 今日はSさんが退院する。余り彼には親しくもないので、楽しくも悲しくもない。別段感ずることもなかつた。夕方から随筆でも書かうと思つて筆を持つてみたが一枚も書けない。書けないと、定つて不安と焦燥と腹立たしさと、そして最後に深い絶望の洞穴に落ち込んで苦しむ。

 それから、どうしてこんなに近頃は頭が悪くなつたのだらうか? 丸切り記憶することが出来ない。読めば側から忘れて行く。

 ここまで書くと頭がもやもやし出して考へようとすると腹が立つて来だした。何所へも行き場がない悲しさを切々と覚える。


 十月一日。

 今日から大掃除である。先づ今日自分達の秩父舎をやり、次に明日は桂舎、これは不自由舎であるから、僕達の舎から四人出ることになつてゐる。K君、M君、N君、僕――。その次の日は菖蒲舎の三号である。

 さて今日の掃除であるが、先づ畳を外に出し、床板を洗ふ。それから障子、硝子戸をはづして全部水洗ひ。その他便所から家の周囲の羽目板まで全部タワシで洗ふ。すつかり気持よくなる。二時頃に事務所の方から検査に来る。二時半頃には全部終了。


 夜、H・Kと僕とが臭いといふ噂が立つてゐるといふ。専ら苦笑する。目下のところ正直に言つて自分は心から愛さうと思ふやうな異性はない。自分が異性に心惹かれるやうな思ひのするのは、自分の淋しさから出発してゐるのである。淋しさとは言ふまでもなく、病気から来てゐる。それだ。


 十月二日。

 桂舎に掃除に行く。変りはない。唯それだけの一日だ。

 心に留まるやうなこともない。


 次の記事から何とか文体を変へて、文章に就いてもよく気をつけて書き進めてみよう。今までの記事は丸切り文章に就いては考へず、それに大ていの場合嫌悪しながら書いてゐる。これからはそのやうなことのないやう、勿論自分の日記は心的日記でなければならぬ。その故に毎日書かずともよい。唯書くべきことは必ず書くこと。


 十月四日。