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リアリズムとかロマンチシズムとかいふが、かういふ事実にぶつかつた場合、作家は本能的に真なるものに肉迫しようとする。と同時に、作家は真に対して本能的な嗅覚を持つのである。林氏は率直、素朴に自己の嗅覚を打つたものを捉へ、いつはりなく反省し、告白し、表現してゐる。

「人を殺したり殺されたりすることは誰しもいやです。これは人情です。軍人にも殺人や破壊を好きでやるものは一人もゐません。現地に来て特に感じることですが、どの軍人に会つても、近くは東洋平和、遠くは地球平和を理想として持つてゐないものは一人もありません。にも拘らず、戦はなければならないのです。支那人も戦ひます。ソヴェート・ロシヤも厖大な軍備を擁してゐます。戦はざる国民には滅亡があるのみです。一国の非戦論は敗戦主義と亡国に通じます。どんなに厭でもどんなに怖しくとも戦はなければなりません。戦ふ国民のみが真の地球平和をもたらすのです。歴史の宿命です。」

 かういふ言葉も現実に直接触れた言葉として我々を打つのである。

「……………………」――不明。ママ

 右は加茂儀一氏『家畜文化史』の序文の一節であるが、これを読んだ時眼からぼろぼろ涙が出て弱つたことがあるが、それにしても何時になつたら地球は平和になるのであらう。「戦争を通じて地球の平和は必ず来る。」と林氏も言つていられるし、これだけがただ一つの理想ではあるが、ひよつとしたら永遠に人類の平和は来ないのではあるまいか、といふやうな不安が湧いてならぬ。

 ソヴェートに絶望したアンドレ・ジイドのその後の心事はどんなであらうか。彼は今後何を理想として生きて行くであらうか。いや絶望する以前ソヴェートに対してつてゐたと同一の理想を今後も続けて有ち得るであらうか。有ち得るとせばどんな現実を足がかりとするであらうか。


 窓下のコスモス、昨日までは一つも開いてゐなかつたのに、今見るとはや白いのが一つ咲き出してゐる。他の蕾たちもずつとふくらみ、明日は幾つかまた開くであらう。別段病人気分になる訳ではないが、やはりベッドについてゐると、かういふ自然界の動きが、非常に身近く感じられ自づと親しみが湧くのである。

 この病室へ入室したのは夕暮近くであつたが、その時には窓の外を蜻蛉とんぼが群がり飛んでゐた。送つて来てくれた舎の連中が帰つてしまふと、自分はその蜻蛉をぼんやり眺めてゐた。室内はもう幾度も書いたやうに、重病人と、絆創膏と義足と曲つた指と、――そんなことはもう書きたくもないし見たくもない。すいすい飛んでゐる蜻蛉の方がよつぽど気持がいいのである。ぼんやり蜻蛉を見てゐると、いつの間にか薄暗がりが迫つて来て、不意に大きな遊星が南空に見え出した。全く不意に光り出したやうな感じで、やがて闇が深まるに連れて、その星は少しづつ西方に移つて行きながら耀やきを増していつた。金星かなと初めは思つたが、考へてみると金星は今は内合して、太陽よりも早く夜明けの天空に光つてゐる筈である。それならあの輝きは多分木星であらう。

 さう思ひながら『科学画報』の十月号を見ると、――以下不明。ママ


 九月二十八日。

 今日は病院の創立記念日とあつて、昼食は白飯と豚肉、夜はうどんの御馳走日だ。

 白飯はありがたいがお粥をくれないのには弱つた。夜はうどんで飯もお粥もない。これだと御馳走などない方が余程ましだ。

 向うベッドの肺結核患者のところへ家から父母が見舞ひに来た。


 朝のうち、光岡君来る。そこへ日東君来り、三人で快談。日東氏は四五日前市川の式場隆三郎氏の所へ行つて来たばかりであると。学生の狂人が一番多いとのこと。ちよつと考へさせられる。『文學界』より稿料来る。武拾武円也。

 隣りの空ベッドへ、夜、女が入室した。


 十月十七日。

 しみじみと思ふ。怖しい病気に憑かれしものかな、と。

 慟哭したし。

 泣き叫びたし。

 この心如何にせん。


 十一月二日。

 午前六時、林檎汁一杯。

 七時二十分、朝食。粥半椀、味噌汁半椀。

 九時、散薬服用。(白頭土ナレバ片栗粉ニ溶イテ服ス)

 十時半、昼食。(リンゴ一ケ)