つてゐる。家庭の事情があるとのこと。
夜、東條君来る。精系手術の結果を聴く。書くに堪へず。苦しきことなり。
七月一日。曇。夜雨。
朝、机に向ふがどうしても頭がまとまらなかつた。強ひて考へようとすると、頭がづきづきと痛み、吐気を催し、胸が苦しくなつて呼吸が困難になつてしまふ。腹立たしく苛立つて来る。東條の所を訪問する。彼と共に草津行きのことを話す。Fちやんも来、三人で語り合ふ。どんなことがあつても、みんなで向うへ行くことにしようと決意する。
五十嵐先生に会ふ。自分の気持を幾分は理解して下さる。嬉しいと思ふ。しかしほんとの僕の苦悩などあの人には解らぬ。これは致方もないことである。
眼科に出かけ洗眼する。
今朝は六時十五分過ぎに起きたので非常に眠く、午後一時頃から三時まで眠る。どうにか頭がさつぱりする。しかし気力が弱まつてゐるので、どうしても作品の構図が描けない。煙草を吸ひ過ぎるのがいけないのかも知れない。明日から刻み煙草にしてみようか?
結婚して落着きたい思ひがしきりにする。
今夜はよく眠りたいものだ。昨夜は午前二時過ぎまで眠れなかつた。床に就くと作のことが頭に浮び、興奮して脈搏が早くなり、どうしても眠れないほどなのに、昼間は萎んだ木の葉のやうに頭が重い。なんとか活気のある頭にならないものか。明日からもつと運動することにしようか。或は病気が騒いでゐるのかも知れない。これが健康者なら「切り抜ける」といふ言葉でこの場合に戦ひ得るが、我々にはさうはいかない。切り抜けるとは、 一定の期間努力するなら再び平和に戻り得る場合にいふのである。我々の場合に於ては切り抜けて行くのではなく、何故なら、かうした頭脳の不明瞭は死ぬまで続くであらうから――、実にどこまでも堪へて行くだけである。意志と意力が欲しいと思ふが、その意志そのもの、意力そのものが、その内部から崩れて行くやうな気がする。これは怖しい、真に怖しい。ただ、いのちに頼るのみである。戦つて行くより仕方がない。それ以外どうしやうもないのだ。
七月二日。終日雨。
夜、S君の送別会をする。ひどく寂しい。こんな立派な友人を失ふことがたまらないほど寂しい。
自分は今まで彼のやうな好もしい男を見たことがない。純情無垢といふ感じだ。それかといつてお坊つちやんでは決してない。彼は自動車の運転手である。世の波風には誰よりも多く当つてゐるであらう。しかしその多くの苦しみや辛酸が、凡てみな彼の立派さ、美しさを成長させるに役だつてゐるのである。魂が美しいのだ。個性的に根元的に美しいものを有つてゐるのだ。それでゐながら誰も及ばぬほどの理性的なものと意力をもつてゐる。驚くべき男である。真に驚くべき男である。どんな男でも彼を憎んだり敵視したりすることは出来ないであらう。かういふ男をこそ、自分は原稿紙の上に定着させねばならない。この男にもつと高いインテリヂェンスを与へ、近代性を付与してみるがいい、この錯雑した現代をリードする新しいタイプの人間が出来上るのだ。非常に難しいが、しかしこれはなさねばならない。傑れた作品が出来るに違ひない。
八月三日。
六時が鳴つたので起き上つて見ると、雨が降つてゐる。雨の降る日は光線がやはらかで頭を落着けてくれる。私は何より雨が好きである。それでは今日も落着いた気持で、静かに一日を過すことが出来るであらうと思ひながら、部屋その他の掃除をすまして洗顔をした。しかし、食後机の前に坐つてみると、昨夜から続いてゐる苛立たしい気持は、相変らず頭でとぐろを巻いてゐて、なんにも手がつかない。
昨夜はなんて嫌な一晚だつたことだらう。あんな時は脈搏が百二十にもなつてゐるに違ひない。午前二時を過ぎても眠れなかつた。自分がまだ生きてゐるといふことが腹立たしくてしやうがないのだ。