Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/33

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二年にして夜の御用が務まらぬ、とは先日聞いた言葉ではないか。嘘か真実かそれは知らぬ。しかし性慾が減退するといふことだけは確実であるのだ。体力が減退するのだ。そんならどうして頭に影響しないと断定出来よう。

「東條、切実な問題なのだぞ。」

「さうだ切実な問題だ。」

 沈黙。なんといふ悲惨な青春だらう。二十四の東條も、二十二の私も。私は昨夜睡れぬままに考へたのである。力一ぱいの小説を十も書いて、東京へ出て何処かのビルディングから飛び降りてあの都会をこの毒血で真赤に染めたらどんなに気持がすつとするだらうと。だがしかし、これは甘い感傷に過ぎぬ。空想に過ぎぬ。

「そんな先のことまで考へてもしやうがない。兎に角今眼前に横はつてゐる問題を片つぱしから解決するんだ。一番被害の少い方法を選んで。」

 と東條は言ふ。

「それが出来ねば首をくくるだけか。」

 私は笑ひながら答えた。東條も笑つた。奇妙な笑ひだつた。「間木老人」の中に出て来る鬚の老人が横でにやにや笑つてゐる。あの小説にもあるやうに絶え間なく何かどなり続けてゐたこの老人は、どうしたのか一ケ月ばかり前から頭が痛いと言つて意気消沈して寝てばかりゐる。丸で元気がなく、狂つてゐたのが癒つたらしい。だが癒つた瞬間から、はや癩に苦しめられるのである。むしろ狂つてゐた方がよかつたのである。ああ、私もいつそ一思ひに狂つてしまつた方が幸ひであるかも知れぬ。

 日記のつもりが実話のやうになつてしまつた。なんでもいい、思ひ切り今日は吐き出してやれ、頭がすつとするだらうから。発表されようがどうされようが知つたことか。誰でもよい、俺の気持を解つて呉れ。

 夜、婦人療舎へ遊びに行く。こんな日はじつとしてゐることが一番良くない。S子がゐる。君は俺を愛してゐるのか? さうならさうとはつきり言つてくれ。言葉のアヤ取りはもう御免だ。

 帰つて来ると八時半。消灯して床に這入ると、またしても骸骨の幻想だ。真先に先日死んだZ君の屍が浮んで来ると、次には、いやにひよろひよろと背の高い骸骨が浮んで来て、そいつが四つん這ひになつてもそもそと這ひ廻る。ふとS子が浮んで来ると、彼女の体が水晶のやうに透明になり、白々と骨格が見える。背の高い骸骨とからみ合つて。すると無数のそれが眼先にちらついて来て、どんなに消さうと藻搔いても及ばない。頭がづきづきと痛む。くそ、負けるものかと〔こつち〕から意識的に思ひ浮べてゐると、どきんと激しく全身が痙攣する。每夜のことだ。驚くには及ばない。しかしもう二時頃までは睡れないに定つてゐる。いつそのこと起き上つて原稿でもやれと、再び床を押入れに叩き込む。そしてまた着物を更へて原稿紙とペンを持つて十号病室にやつて来る。東條は遊びに行つてゐない。彼の机でこれを書き出した。今、かつきり午前一時。



一九三六年 (昭和十一年)

北條民雄

 六月二十六日。快晴、夕方に驟雨があつた。

 二週間の放浪から帰つて今日はもう四日目である。どんなに死なうとあせつてみても、まだ自分には死の影がささない。あの苦しい経験で判つたものは、実に、生きたい自分の意志だけであつた。轟音と共に迫つて来る列車に恐怖する時、紺碧の海の色に鋭い牙を感ずる時、はつきり自分は自分の意識を見た。死にたいと思ふ心も、実は生きたい念願に他ならなかつた。そして自分は、あの時、「人間は、なんにも出来ない状態に置かれてさへも、ただ生きてゐるといふ事実だけで貴いものだ。」と激しく感じた。何故貴いか、ただ生きてゐるだけで、生の本能に引きずられてゐるだけで、どうして貴いのか? それは自分には判らない。が、実に貴いことだと感じた。どういふ風に貴いか。まだ言葉として表現することが出来ない。しかし真実貴いと思へたのだ。とにかく生きね