歪んだ口から涎をたらしてをり、ある児は顔いつぱいに絆創膏を貼りつけてゐる。ひどいのになると机に松葉杖を立てかけてをり、歩く時にはギッチンギッチンと義足を鳴らせるといふ有様であつた。一体この児たちに何を教へたらいいのであらう、また、彼等にどういふ希望を与へたらいいのであらう、そして二十五歳で発病した自分ですら一切の希望を奪はれてしまつてゐるのではないか、
子供たちは教室から一歩外へ出ると、忽ち水を得た魚のやうに生きかへつた。血液は軀の隅々まで流れわたつて、歪んだ口の奥にも、腫れ上つた顔面の底にも、なほ伸び上らうとする若芽の力が覗かれるのだつた。
「癩病になりや人生一巻のお終ひさ、ちえッ。」
といふ彼等の眼にさへも光りが増して、鶏三はさういふ言葉も笑ひながら聴いた。彼は一切を忘れて遊びに熱中してゐる子供たちを眺めるのが何よりの楽しみであつた。彼等は学科を全然理解せず、ただそれが自分たちには無意味であるといふことだけを本能的に感得してゐたが、遊んでゐる時の彼等にとつては無意味なものはこの地上に一つもなかつた。彼等は至るところに遊びを発見し、そこに凡ての目的を置き、力を出し尽して悔いなかつた。子供たちはみなそれぞれ恐しい発病当時の記憶と、虐げられ辱しめられた過去とをその小さな頭の中に持つてゐる。それは柔かな若葉に喰ひ入つた毒虫のやうに、子供たちの成長を歪め、心の発育を不良にしていぢけさせてしまふのである。子供たちをこれらの記憶から救ひ、正しい成長に導くものは学科でもなければ教科書でもなかつた。ただ一つ自由な遊びであつた。彼等は遊びによつて凡てを忘れ、恐しい記憶を心の中から追放する。それはちやうど、最初に出た斑紋が自らの体力によつて吸収してしまふやうに、彼等自身の精神の機能によつて心の傷を癒してしまふのであつた。
鶏三はじつと、夕暮れてゆく中に駈け廻つてゐる子供たちを眺めながら、貞六、光三、文雄、元次、と彼等の名前を繰つてゐたが、ふと山下太市の顔が浮んで来ると、あらためて庭ぢゆうを眼でさがしてみた。そして予期したやうに太市の姿が見当らないと、彼は暗い気持になりながらその病気の重い、どこか性格に奇怪なところのある少年を思ひ浮べた。
その時どつとあがつた女の児たちの喚声が聴えて来た。小山の上に立つてゐる彼の姿を見つけたと見えて、顔が一せいにこちらを向いて、
「せんせーい。」「せんせーい。」
と口々に叫ぶのである。鶏三が歯を見せて笑つてゐることを知らせてやると、彼女等は蜘蛛の子を散らせたやうに駈けよつて来て、ばらばらと山の斜面に這ひつき、栗や小松の葉をぱちぱちと鳴らせて、見る間に鶏三の腰のまはりをぐるぐると取り巻いた。そしてさつきのやうに手をつないで彼を中心にぐるぐると廻り、
中のなあかの小坊主さん
まあだ背がのびん
そんな歌を唄つてまたわあつと喚声をあげるのだつた。そして手を放すと、今度は、
「かくれんぼしようよ、よう先生。」
と、わいわい彼を片方へ押しながら言ふのであつた。鶏三は笑ひながら、
「よし、よし。さあ、じやんけん。」
「あら、先生が鬼よ、先生が鬼よ。」
「なあんだ、ずるいね、じやんけんで決めなきあ…。」
「だつて、先生おとななんだもの、ねえ、よつちやん。」
「さうよ、さうよ。」
そして子供たちははやばらばらとかくれ始めるのだつた。鶏三は苦笑しながら山の頂きに
「先生、百、かぞへるのよ。」
「遠くまで行つちやだめよ。」