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む。淸盛、乃北臺に上りゆかに踞して指麾しきす。賊兵沓至たふしす。官軍逡巡しゆんす。賊勝に乘じて進む。、內戶に及ぶ。淸盛怒りて馬に上り、大に呼びて馳せ出でゝみづから敵陣を突き、兵をかへ交々かはる進む。賊遂に大に敗走す。淸盛乃大內に入り名簿を收め、笑ひて曰く、「きのふあたけふ取る、何ぞ速なる」と。乃兵を分ち賊を追ふ。義朝は關東に走り、信賴は仁和寺に至りて、哀を上皇に乞ふ。上皇爲に之を帝に請ふ。帝許し給はず。重盛曰く、「即之をゆるせ、彼れ何をか能く爲さん」と。淸盛曰く、「首惡誅せざる可らず。且帝の命を如何せん」と。乃敎盛をつかはし、兵を引きて仁和寺を圍ましめ、信賴及び其黨源師仲ひろなか、藤原成親なりちか等五十餘人をとらへ、信賴を六條かはらに斬る。重盛、敎盛、成親と姻あり。乞ひて之をゆるす。

帝、淸盛の戰功を賞し、其子弟の官爵を進む。義朝誅せらる尾張の人長田忠致をさだたゞむね、義朝を誅し、其首を獻ず。之を獄門に梟す。賴盛の將平宗淸むねきよ、亦義朝の少子賴朝よりともを捕へて至る。將に斬らんとす。宗淸むねきよ之をあはれみ、池尼いけのあまに因りて宥されんことを請ふ。池尼は賴盛の母、淸盛に於ては繼母まゝはゝたり。淸盛聽さず。尼怒りて曰く、「刑部卿げうぶきやう在らば汝いづくんぞ我が言をあなどるを得んや」と。重盛、賴盛と固く請ふ。乃死一等を减じ、伊豆に流す。義平、服を變じて京師に入り、淸盛を狙擊せんとす。淸盛之を覺り、捕獲して