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Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/1600

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公、終に臨みて、諸︀老を召し、世子家綱世子家綱いへつなしよくす。世子、職をぐ。甫めて十一。 天資仁恕なり。時に利勝已に卒す。正之以下、遺命ゐめいを受けて幼主を輔佐ほさす。敢て 慶譲けいじやうを爲さずして、其長をつ。大納言義直、公に先だちて卒す。賴宣、賴房、 猶健なり。國流言多し。明暦三年大火明暦三年、江戶に災あり。歲を踰えて滅せず。城郭じやうくわく 第舍ていしや、延燒してほゞ盡く。物情恟然たり。信綱、忠秋、內外を指麾しきし、事皆立所に辨 ず。忠勝等、協議してことく諸︀侯をめて國に就き、各其民を撫せしめ、土木を經 理し、盡く舊觀に復す。天下復動搖せず。旣にして親藩の老臣、前後みな卒す。 而して將軍、政を親す。諸︀侯の質の城中に在る者︀を各第に還し、殉死を禁ず殉死を禁ず。家綱薨ず職 に在ること三十一年にして薨ず。【寬永寺】江戶寬永寺くわんえいじに葬る。四代嚴有公嚴有げんいうおくりなす。

是より後、寬永寺寬永、增上寺增上の二寺、德川氏の塋域ゑいゐきと爲る。初め東照公、祖︀先に事ふる に甚謹︀む。後陽成帝、甞て公に賜ふに菊桐の章を以てせんと欲す。辭して曰く、 「此れ已に足利氏に賜ふ。新田氏の榮に非ざるなり。臣自葵章あり。天恩苟も微 勞に酬いんと欲せば、伏して願くは、臣の祖︀先を錄し給へ」と。乃詔して、上祖︀ 義重よしゝげ義重、廣忠に贈︀官從四位下鎭守府將軍を、父廣忠ひろたゞに正二位大納言を贈︀らる。其歲、臺德公 とともに上野に獵し、土井利勝等をして新田につた世良田せらだ德川とくがはの諸︀邑にき、其父老