くは少く此に息はしめよ」と。僧︀、與に坐して談る。公、其壁畵の頗雅なるを視︀
て、之に謂て曰く、「貴寺、僻に在り。何を以て是の若きを得る。豈大檀越ある
か」と。曰く、「有ること無し。唯、保科氏あり。亦貧乏にして爲すこと有るに足
らず。吾れ聞く、『保科君は將軍の親弟なり』と。小民猶兄弟を恤むを知る。貴人
何ぞ情の薄きこと此の如き」と。公、色少しく變じ、從者︀を目して辭謝して出
づ。頃して羣騎至りて將軍を索めて、之を僧︀に問ふ。僧︀曰く、「嚮に數少年ありて
來り息ふ」と。騎曰く、「是將軍のみ」と。僧︀大に驚き誅を惧る。居ること何も
無くして、敎あり。正之を山形二十萬石に增封し、松平氏を賜ふ。驪鄕の寺に
香火の邑を給ふ。後、正之、徙りて會津を鎭し、四位中將に累遷す。性敦實にして
學を好む。公、特に之を親重す。