て京師に如く。朝旨、徵求する所ありて、十餘條を疏す。信綱盡く其不可を辨じ
て還す。衆其敏︀を稱す。忠勝、之を讓めて曰く、「列世恭順の旨、子、豈知らざ
るか。何ぞ必しも盡く之を拒むことを爲さん」信綱、驚悔︀して措くなし。
公の始めて政を親するや、敎を下して曰く、「大小の事盡く東照公の約の如くす」
伊達政宗、狀を上りて曰く、「東照公、曾て我を百萬石に封ず。願くは約の如
くせん」と。幕議、之を病ふ。利勝曰く、掃部頭、能く之を辨ふ」と。乃直孝に
命ず。直孝、朝より退き、直に伊達氏に詣り、面のあたり政宗を見て曰く、「聞く
『公、前代の約を擧げて封を請ふ』と。信なるか」と。曰く、「信なり」と。曰く、
「所約は印信あるか」と。曰く、「有り」と。曰く、「盖し僞ならん」と。政宗曰く、
「何ぞ僞と謂ふを得んや。吾れ且之を示さん」と。卽出して之を示す。直孝、受
けて熟視︀して曰く、「是れ故紙のみ」と。乃扯裂して爐火中に投ず。政宗、色然と
して駭く。直孝笑ひて曰く、「此の約は、盖し一時の權宜に出づ。且事旣に往く。
今乃持して利を要む。何ぞ計の淺きや」と。政宗曰く、「老夫誤れり」と。因りて
笑ひて止む。福︀島氏の封を收むるとき、群議决せず。板倉勝重板倉勝重、直孝を薦めて曰
く、「掃部頭は人の足跡を踐まざる者︀」と。乃直孝を召す。議遂に決を得。勝重、