濟り、敗兵を要擊して、多く首級を得。石川忠總、京極忠高、高知と、高槻を發
し、敵將仙石某と、備前島に戰ひて之を敗る。毛利秀元、及び加藤明成、水軍を
以て傳法港口に至る。松平乘壽は森口より、金森可重は岸和田より至る。皆首級
を獲たり。淺野氏、蜂須賀氏、最後れて至る。其他遠地の侯伯は皆及ばず。
前將軍、胡床に據りて火の起るを望見す。左右に關原の事に更る者︀あり。乃顧て
之に謂て曰く、「吾れ復㨗てり」と。巳にして將軍來り賀す。前將軍曰く、「汝の功
なり」と。歸りて本營に陣せしむ。忠直來り見ゆ。乃其手を執りて曰く、「乃公の
孫と謂ふべきなり」と。忠輝見ゆ。顧ず。義直、賴宣、後軍より馳す。諸︀軍の
輜重、途に屬して爭ひ進むを見る。賴宣賴宣曰く、「是れ軍旣に㨗ちて將に舍せんとす
るなり」と。已にして天主に烟擧る。賴宣、咄嗟して進む。義直、之に從ふ。茶
臼山に至れば、則諸︀將の賀する者︀大に聚る。賴宣、涕を攬りて曰く、「大人、兒を
後軍に置き、事に及ばざらしむ」と。松平正綱曰く、「君は十四歲なり。前途修遠
なれば、功を建てざるを患へざれ」と。賴宣、色を變じて曰く、「吾れ復十四歲あ
らんや」と。前將軍曰く、「汝此の言、以て當に首功とすべきに足る」と。