會一監使の至るあり。了迎へて言て曰く、「陪臣、敢て請ふことあり。盛親遁る
と雖、幸村等將に至らんとす。要撃して之を鏖にせば、則大阪の陷ること今夜
を出でじ。之をして城に入らしめば、則明日の戰又將に力を費さんとす。臣之を
策ること至熟す。和泉守の聽かざるを如何せん」と。監使之を然りとし、往きて高
虎に說く。高虎答へず。日已に暮るゝを以て、益了を促して兵を收めしむ。了、
遂に火を縱ちて退く。後、直孝、高虎の營に赴き、戰㨗を賀す。高虎曰く、「我に
怯夫あり。多く我が良を喪ふ。是を憾と爲すのみ」とし直孝曰く、「僕、若江より
矢尾に赴き、貴部の一將の席幟を樹てゝ敵を追ふを見たり。指揮甚觀る可し。斯
人も亦死せりや否や」と。高虎嘿然たり。渡部了了、冑を免︀ぎ進みて曰く、「所謂席幟は
卽臣なり」と。因りて其屬兵を呼びて曰く、「掃部君、褒詞あり。我が輩、徒に勞
せず」と。然れども了、終に傲護を以て黜けらる。
是の日、榊原康勝榊原康勝等、菅江に至り、敵將木村宗明を擊つ。康勝瘍を患ふ。膿流れ
て鐙に至る。氣爲に撓まず。奮戰して之を破る。小笠原秀政等と進みて若江に赴
く。監軍藤田信吉、之を扼めて止む。少將忠直、其老本多成重等と、四條畷に陣
し、井伊氏の後に在りて、皆事に逮ばず。