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忠輝たゞてる、及び酒井忠重ただしげ、其弟忠利ただとし等と、江戶を居守す。蒲生がまふ最上もがみ氏以下、之に 隷す。賴房よりふさ、其中山信吉のぶよしと、駿府を留守す。義直よしなほ、其成瀬正成なるせまさなりと、賴宣よりのぶ、其 安藤直次なほつぐと、皆軍に從ふ。義直、初め右兵衞督うひやうゑのかみたり。賴宣は常陸のすけたり。並に 從四位下に叙せらる。後並に從三位に進み、參議さんぎに任ぜられ、右近衞中將うこんゑのちうじやうを兼ぬ。 賴房、初め左衞門督さゑもんのかみたり。後、從四位下に叙し、右近衞少將うこんゑのせうしやうに任ぜらる。是に於 て、白旗を義直、賴宣に分賜す。諸︀の甞て豐臣氏の特恩を受けし者︀は、從ふを許 さず。

十一日、前將軍駿府を發す前將軍、數百騎を以て駿府を發す。大阪、刺客を發し、京師に入りて を狙ひ、大阪の刺客且に二條城を焚かんと欲す。板倉勝重之をさとり、こととらへて獄に下す。 二十二日、駕京師に至る。傳奏司でんそうし、勅を傅へて勞問す。少將忠直は、二萬人を て、前田利常としつねは三萬人をて、皆これに會す。居ること三日にして、諸︀將を召 し、大阪のを開き、戰を議して曰く、「西南の兵未だ至らず。宜しく先鋒を以て 戰を挑むべし」と。直孝、高虎井伊直孝なほたか、藤堂高虎たかとら、先鋒たり。松平忠明松平忠明たゞあき、本多忠政たゞまさ之に繼 ぐ。忠明は、奧平信昌おくだひらのぶまさの少子なり。外孫の故を以て、氏を賜ひて龜山かめやまに封ぜら る。是の歲、其兄忠正たゞまさ卒す。代りて其衆を領し、美濃の將士をぶ。是に於て、