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ん。しからざれば、臣等三韓、契丹に赴くこと有らんのみ。命を奉ずる能はず」と。平時忠、院使を捕へはなきりて之をる。

重衡鎌倉に下る法皇怒り、重衡を以て賴朝に附して、誅せしむ。賴朝之を鎌倉に檻致せしめ、延きて見る。梶原景時かぢはらかげときをして、命をおこなはしむ。來りて重衡のかたはらひざまづく。重衡聽くを肯ぜず。遙に賴朝に語りて曰く、「重衡此に至るは命なり。公尙先人の德を記せば、則請ふ、速に死を賜へ」と。賴朝、乃之を狩野かの宗茂むねしげに屬し、湯沐を具へ、姬千手せんじゆをして浴に侍し、因りて其欲する所を問はしむ。重衡、髮をらんと欲す。賴朝、許さず。因りて酒をおくり、千手及びどう祐經すけつねを遣し、之を佐けしむ。祐經つゞみち、千手琵琶をだんず。重衡、杯を千手に屬し、朗吟して曰く、「燭はくらし數行虞氏ぐしの滂、夜は深し四面楚歌の聲」。賴朝、微行して、耳を戶外にそばだてゝ聞きてこれを憐む。更に名姬めいきわうを遣し、千手と更直せしむ。明年六月、南都の僧侶の請を以て、奈良坂に斬る。二女、髮を削り尼と爲ると云ふ。