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何の面目ありて、宗族にまみえんや。宗族も亦必臣を以て、神器にかふるを肯ぜざるなり。然りと雖も、臣敢て敕を奉ぜずんばあらず」と。乃、書を作りて院宣使に從はしめ、屋島に至る。【時子】重衡の母時子書を得て悲み泣き、之を聽さんと欲す。宗盛書を法皇に上る知盛、執りて不可なりとし、宗盛に敎へ、答表を作らしめて曰く、「謹みて宣旨を領す。通盛以下旣に命を授く。重衡、豈獨生を欲せんや。神器のごときに至りては、須臾も聖体を離る可からざるなり。陛下尙貞盛、淸盛の遺勳を思ひ給はゞ、則辱なく龍駕を枉げて、西州に臨幸せよ。臣等、護るに西南四道の兵をて、以て亂賊を討た