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數をさだめ。ゆるされをかうぶりて。其寺につけをくをば年分度者と申也。出家をゆるさるるをもて。これを功德とも稱し。又朝恩とも思ひ侍る也。今の世にも大法會の時は度者の使とてたてらるゝは昔をわすれぬばかりにて。その實なき事なるべし。かゝるゆへに諸宗の今に繁昌せることは。ひとへに大師先德の陰德のいたす所なり。

一諸國の守護たる人廉直を先とすべき事。

諸國の國司は一任四ケ年に過ず。當時の守護職は昔の國司におなじといへども。子々孫々に傅て知行をいたすことは。春秋の時の十二諸侯。戰國の世の七雄にことならず。所詮賴朝の大將後白河院七十七代の勅諚として。六十六ケ國の惣追捕使に補せられしよりこのかた。守護職といふは武將の代官をうけたまはれる由にて。當代にいたるまでも其例ををはるゝうへは。はやくさだめをかれたる御法をまもり。かぎりある得分の外は。そのいろひをなさず。上には事君の節をつくし。下には撫民の仁をほどこして。廉直のほまれ當世に聞。隱德の行末代に及さば。冥慮にもかなひ。榮花を子孫につたふべきを。やゝもすれば無道をかまへ猛惡をさきとする事。かへすしあんなきにあらずや。貞永後堀河の式目には或は國司領家のそせうにより。或は地頭土民の愁鬱につきて。非法のいたり顯然ならば。所帶の職をあらためられ。穩便のともがらに補すべき也。又建武後醍醐の御法には守護職は上古の吏務也。國中の治否只此職による。尤器用に補せられば。撫民の義にかなふべきかと云々。此式條のごとくならば。時にしたがひ人をえらびて其職に補せらるべきよしみえたるにや。然るに當時の躰たらく。上裁にもかゝはら