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それ佛法王法二なく。內典外典又一致也。そのかみは一怫の法門たりといへども。大小權實の相違によりてそのながれ八宗にわかれ侍り。いはゆる八宗は。眞言。華嚴。天台。三論。法相。俱舍。成實。律宗これなり。但俱舍をば法相に付られ。成實をば三論に兼學するによりて六宗になれり。其後淨土と禪との二をくはふれば猶八宗と稱すべし。天竺の事は。程遠ければしりがたし。唐土には今の世にたえたる宗どもおほく侍るにや。八宗の血脉いとすぢのごとくつらなりて。かたのごとくも今にのこれるはわが日本國計也。末世の佛法は有力の檀那に付囑し給ふよし釋尊の遺勅あれば。大檀那たる人は。八宗いづれをも斷絕なきやうに外護の心をはこび給ふべし。其中いづれにても心よせの宗に別して歸依あらんことは。一は宿習により一は所緣にしたがふ事なれば。ともかくも其人の心にまかすべし。さりながら華嚴。天台。三論。法相等の宗は。法門無盡にして義理深奧なれば。たやすくまなぶべきにあらず。眞言は暗誦加行もしは灌頂など。其人にあらすんば相應すべからず。律宗は一日の八齋戒をたもち。天臺の圓頓戒などをうけん事はやすけれど。誠に二百五十戒などをたもたんこと是又有がたかるべし。然るに淨土と禪との二の宗は。とりより所のたやすきにや侍らん。當世の人の此二の門にこゝろざさざるはすくなかるべし。それも人によるべきこと也。天子の位にありては。まづ仁德の行をさきにし給て。朝儀のすたれたるをおこし給。大將軍の職に居して。武道をもはらにして。万民のうれへをすくはせ給はゞ。いかなる佛法修行にもまさるべきを。あるひは坐禪工夫にいとまなきと稱し。