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 あけほのや風の上なるうす霧に霞の山の面影そ立

公事根元抄。菊亭右府へ尋申事ありてわたり侍りけるに。折ふし雪ふりけるに。歸宅以後被送侍し短册。

 言葉の道をもとめてとひ行はけさ初雪のあとやつけまし

廿七日の夜。壽命院私宅へたづねられし時。約束せし東大寺の香とり出し。えりてつかはし侍るに。つとめての朝。木色うすし。なを灯下のあやまりにとり侍れば。殘たるを所望のよしありて消息ありけるに。返しつかはすとて。

 えりつゝも人の手にとる東大寺もとくらきよの誤りにして

鷹狩ありて尾州より關白殿歸洛のきざみ。鳥どもおほくもたせられければ。

聖門主


 鶴のあし山鳥の尾にさきのあしなかしくも通るたか人

かへし。

 短きも步み出つゝ鴨の足のしたやすからぬけんふつにして

右東國陣道記以詞林意行集挍合了


蒲生氏鄕紀行

天つ正しき二十の年。前關白おほいまうちぎみ入唐したまひ侍らんとものしたまふに。日のもとの武士のこりなく御供しはべるに陸奧よりも立侍りけるに。白河の關をこゆるとて。

 陸奧も宮古もおなし名ところの白河の關いまそこえゆく

とよみて出てゆくほどに。下野の國にいたりぬ。いときよくながるゝ川の上に柳の有けるを。いかにと尋侍るに。これなん遊行の上人に道しるべせし柳よといふを聞て。げにや新古今に。道のへに淸水なかるゝ柳かけと侍りしをおもひいでて。

 今もまた流れはおなし柳陰行まよひなは道しるへせよ

とうちながめて行けるほどに。こゝは那須野の原といふ所なりければ。あまりに人氣もなく物さびしかりつるまゝ。ふと思ひつらねて。

 世中に我は何をか那須の原なすわさもなく年やへぬへき