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群書類從卷第三百三十八


紀行部十二

高野參詣日記

逍遙院內府實隆公


四月の頃。住吉天王寺にまうづべきこゝろざしありて。十九日伏見へまかりて。般舟院にしばらくやすみて。船のことなどもよほしおほせて。この津より船出して。爰かしこ逍遙し侍るに。鵜殿三嶋江などいふ所などいとおかしく見え侍り。えなみとかやいふわたりにて。夕立一とをりして。かいの雫もいとたえがたくなん。船のうちかくはるかなるべしとおぼえず。なにのまうけもなくさうしかりしに。天昭庵とかやいふ所よりさかづき求出てもてきたれる。興あることになむ。かくてふしまちの月さしあがりて。みじか夜ものこりなきほどに。おさかといふところにいたりて。かねてたのめをきし人たづね侍しにいとかひしくしるべして。よしあるやどりにみちびきいれて。とかくいたはり侍りしに。をの舟のうちのくるしさをも忘れはてぬ。つとめてこのところの本堂みるベきよし申せしかば。こゝかしこみめぐらすに。心ことばもをよばざる莊嚴美麗のさまになむ侍りし。かくて和泉の堺南庄の光明院よりむかへの輿などをくられしかば。やどりを出てまかりたちしに。堺のものとて人々〈光明院檀那〉あまたむかへにきたれ