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Page:Gunshoruiju18.djvu/679

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人の心のどかなればにや。巫峽の水わたるに障なく。大行の路過るに恐れなくして。萬に心をのぶる旅になん侍る。けふは神無月十二日。山口のやどりに歸りて。此たびの日記はしるしとゞめ侍る事しかり。

右此記行者。兼載法師所持之本令書寫者也。

 永祿四年長月念日

昌叱


  右筑紫道記以昌叱筆書寫以續扶桑拾葉集及伴光淳本挍合畢


北國紀行

堯惠法印


文あきらけき年の十七の秋。みのの國平賴數しる所の山亭に下り蘇息せしに。秋風の催す比都を思ひ出侍て。

 雲路こす都は西のをとは山せきのこなたも秋かせそ吹

かくて明るとしの十八のさ月の末に。飛驒の山路をしのぎ。あづまの方へをもむき侍りぬ。位山をみるに。千峯萬山重りて。いづこをかぎりともしらず。

 こすゑ吹あらしも高き位やまひはらか下にかゝる白雲

名にきくほそえの方を遙にみやり侍りて。

 峯こゆる月もうつりぬ夏山やひたのほそ江の夕闇の空

立山のふもとを過て越中の國にうつりぬ。

 むかし誰なつより道をたて山の雪に消せぬあとは殘れる

田子の浦はいづちなるらんと思ひやり侍り。

 行方をたちへたつなよみぬ人の爲とそきゝし田子のうら波

とをきわたりにふせの海ありときゝしかば。

 夏草の茂れるすゑもふせのうみを吹こす風の色かとそみる