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と申侍る。さて遠江の府中より人ののぼりぬる便あるにいそぎ立出侍る。さてもあとさきもなき事を井中文のやうに書付はべる也。とくやぶるベしと申き。

文明五年霜月 日

釋正廣

此一帖。以他本書寫之處。晴雲有後見。尤可證本歟。

正因在判


平安紀行

源持資


文明十あまり二とせのころ。水無月のはじめつかた。土さへさけてとか旅人のぬしのものせ[衍カ]し避暑の床をはなれて。都にまうのぼりぬ。すべて氷にかたしきほのほに身をとらかす事は。ものゝふの本意として常の產なれば。おほやけ事のかしこまりに國のかたへにとてなんおもひ立ぬるは。かはらぬわざなるベし。結城三郞兵衞藤原重純。小笠原九大夫源忠貞を城に殘し置て。日漸たけば。從兵もあへかならむとて夜をこめて馬のはなむけしたり。海の名ごり山のたゝずまひも。ふし柴のしばし計の旅の行ゑ。立かへるべきもこの秋すごさぬことながら。心ときめきてよろこびは人每にものすれば。悲しきにも心ひかれぬベし。いときなきむまごの門にまてると。むかし有けむ人のものせしもをもむきはかはりたるべ