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Page:Gunshoruiju18.djvu/538

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るを。さまたげおほくて。武藏のぜんじ平泰時へ。ことなるそせうにはあらでまいらせられける歌,しんちよくせんにも入侍とやらん。心のままのよもぎのみしてといふうたをかこちて申されける歌。《新勅撰二 平泰時 世中にあさは跡なく成にけり心のまゝのよもきのみして》

 君ひとり跡なきわさのみをしらは殘る蓬かかけイをことはれ

とよまれければひやうぢやうにもをよばす。廿一かでうの地とうのひはうをみなとゞめられけり。そののち野中のしみづをすぐとて。

 續古わすられぬもとの心のありかほに野中のしみつかけをたにみし

とよまれたるも。そのこしべのしやうへくだられけるときのうたにて候。[新勅撰に入て侍し。永仁六年三月一日書之。]


このあぶつばうと申人は。定家の息爲家の室也。きんだち五人まし候。はりまの國ほそ川のしやうを爲家よりゆづりをかれ候を。爲氏たふくたるによりて。をうりやう候。そしやうのためにかまくらへくだられ候時の道の日記にて候。爲氏もちんぢやうのためにかまくらへ下向。兩人ともにかまくらにて死去せられし。そしやうは爲氏のかたへはつけられず候しとかや。あぶつは安嘉門院の四條と申人なり。爲和のはゝなり。


右十六日夜日記以岡山少將光政朝臣筆本書寫以夫木抄扶桑拾葉集及他本挍合畢