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群書類從卷第三百三十二


紀行部六

いさよひの日記

阿佛


むかしかべのなかよりもとめいでたりけんふみの名[をばイ]《孔安國孝經序云魯共王使人壞夫子講堂。於壁中石函古文孝經二十二章。》今の世の人の子は夢ばかりも身のうへのこととはしらざりけりな。みづぐきのをかのくずはかへすもかきをくあとたしかなれども。《萬葉十二 水莖之崗乃田葛葉緖吹變面知兒等之不見頃鴨》かひなきものはおやのいさめなりけり。又けんわうの人をすて給はぬまつりごとにももれ。ちうしんの世を思ふなさけにもすてらるゝものは。かずならぬ身ひとつなりけりとおもひしりながら。又さてしもあらで。なをこのうれへこそやるかたなくかなしけれ。さらにおもひつゞくれば。やまとうたのみちは。たゞまことすくなくあだなるすさみばかりとおもふ人もやあらん。日のもとのくににあまのいはとひらけしとき。よものかみたちのかぐらのことばをはじめて。世をおさめものをやはらぐるなかだちとなりにけるとぞ。このみちのひじりたちはしるしをかれたり。さても又集をえらぶ人はためしおほかれど。二たび勅をうけて世々に聞えあげたる家は。たぐひなをありがたくやありけん。そのあとにしもたづさはりて。みたりのをのこゞども。もゝちのうたのふるほぐどもを。いかなるえにかありけむ。あづかりもたることあれど。