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Page:Gunshoruiju18.djvu/488

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る望月の比も漸近き空なれば。秋ぎり立わたりて。ふかき夜の月かげほのかなり。木綿付鳥かすかにをとづれて。遊子猶殘月に行けん函谷の有樣おもひいであはせイらる。むかし蟬丸といひける世捨人。此關の邊にわらやの床を結びて。常は琶をひきて心をすまし。大和歌を詠じておもひを述けり。嵐のかぜはげしきをわびつゝぞすぐしける。《古今雜下 あふ坂のあらしの風のさむけれとゆくゑしらねはわびつゝそぬる》ある人の云。蟬丸は延喜第四の宮にておはしけるゆへに。此關のあたりを四宮河原と名付たりといへり。

 いにしへのわらやの床のあたり迄心をとむる相坂の關

東三條院詮子石山に詣て還御ありけるに。《圓融院女御一條院母后法興院殿二女》關の淸水を過させ給ふとてよませ給ひける御歌。あまたゝひゆきあふ坂の關水にけふをかきりの影そかなしきときこゆるこそ。いかなりける御心のうちにかと哀に心ぼそけれ。關山を過ぬれば。打出の濱栗津の原なんどきけども。いまだ夜のうちなれば。さだかにも見わからず。昔天智三十九代天皇の御代。大和國飛鳥の岡本の宮より近江の志賀の郡に都うつりありて。大津の宮をつくられけりときくにも。此ほどはふるき皇居の跡ぞかしとおぼえてあはれなり。

 さゝ波や大津の宮のあれしより名のみ殘れるしかのふる鄕

曙の空になりて。せたの長橋うち渡すほどに。湖はるかにあらはれて。かの滿誓沙彌が比叡山にて此海を望つゝよめりけん歌おもひ出られて。漕行舟のあとのしら波。《拾遺 世中をなにゝたとへんあさほらけこき行舟のあとのしらなみ》誠にはかなく心ぼそし。

 世中を漕行舟によそへつゝなかめし跡を又そなかむる

このほどをも行過て。野路と云所にいたりぬ。草の原露しげくして。旅衣いつしか袖のしづくところせし。

 東路の野ちの朝露けふやさは袂にかゝるはしめ成覽

しの原と云所をみれば。西東へ遙にながき堤