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であることは、国会議員にとって十分に認識可能であった。

 したがって、国会議員には過失があるというべきである。

 2 新法制定について

 ㈠ 新法と基本的構造を一にする旧法下において、ハンセン病患者に対する激烈な人権侵害がなされていたことは国会で既に明らかにされていた。したがって、国会議員としては、新法制定に当たって、二度と同じような人権侵害を繰り返さぬよう、新法による人権制約が必要最小限のものであるのかどうか、慎重に審理しなければならなかった。

 ㈡ 三園長発言について

 昭和二六年一一月八日の参議院厚生委員会における三園長発言は、いずれも隔離の強化を訴えるもので、一見、新法制定を正当化する内容に思える。しかし、右発言には新法を制定できるような医学的知見は一切含まれておらず、むしろスルフォン剤の著効が国会において明らかになったと評価し得るものである。新法制定に当たり、この三園長発言の内容が正確に検討されていれば、その人権制約が、伝染予防という目的を達成するために必要最低限度のものとはいえないことは容易に認識できたはずである。

 なお、光田健輔は、ハンセン病には虫を媒介とする感染のおそれがあり、あたかもハンセン病の感染力が結核よりも強いかのような発言もしている。しかし、これは、医学的根拠を全く欠く光田独自の見解である。国会議員は、医学の専門家ではないにせよ、このような光田の見解に医学的根拠があるかどうか程度のことは、確認すべきだったのである。

 ㈢ 結核予防法との対比

 新法と結核予防法とを比較すると、新法の違憲性が明白となることは前述したとおりであるが、このことは、国会議員も十分認識し得たはずである。ところが、国会において、新法制定の際、結核との比較が論じられた形跡は一切ない。

 ㈣ WHO第一回らい専門委員会報告

 新法の違憲性は、昭和二七年のWHO第一回らい専門委員会報告に照らした場合、極めて顕著であるところ、厚生省は、遅くとも昭和二八年七月六日の時点ではこの報告書を入手し、その内容を知っていたし、また、国会もその報告書の存在を認識していた。

 国会議員としては、グローバル・スタンダードというべき右報告を、新法の審議の最も重要な資料の一つとして、より詳細に検討すべきであった。

 この新法の審議過程をたどると、ハンセン病を予防するには患者の隔離以外に方法はないという前提に疑問が呈されていないが、右報告を検討すれば、その前提の誤りが容易に認識できたはずであり、右報告の存在を知りながら、これを検討しなかったことこそが、国会の致命的な誤りであった。

 ㈤ したがって、新法を制定した国会議員には過失があったというべきである。

 3 新法を昭和二八年以降廃止しなかった立法不作為について

 新法制定以降、その見直しを促す国際的な決議、勧告、報告が数多くなされていることは既に述べたとおりであり、これらに照らせば、新法が違憲であることは明らかである。これらの決議等が国会で議論された形跡はないが、これらは様々な形で公にされており、国会議員がこれを認識することは容易であり、この法律を廃止すべきことを認識できた。

 したがって、昭和二八年以降の立法不作為についても、国会議員には過失があるというべきである。

 第四 沖縄・奄美におけるハンセン病政策の責任

 一 戦後沖縄の米国統治の概略

 昭和二〇年、沖縄本島は、米軍によって上陸・侵攻され、米国海軍軍政府布告第一号 (ニミッツ布告) が発布され (同年一一月二六日、宮古、八重山、奄美の各諸島についても、ニミッツ布告とほぼ同様の米海軍布告第一のA号が発布され)、沖縄・奄美地方は米軍が施政権を行使するに至った。

 昭和二五年一二月五日、米国極東軍総司令部「琉球列島米国民政府に関する指示」 (FEC書簡) に基づき、占領の主体が米国軍政府から「琉球列島米国民政府」 (USCAR) に変わった。

 昭和二七年四月二八日、サンフランシスコ講和条約発効により、日本は、連合国軍の占領から独立したが、沖縄は、同条約三条により、米国が「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する」こととなり、引き続き米国による統治が続けられた。

 この間、沖縄住民の政府機構として、昭和二六年四月一日、琉球臨時中央政府が設立され、昭和二七年四月一曰、右講和条約発効を待たずして、琉球政府に発展し、米国民政府は、琉球政府に対して拒否権等を留保したものの、琉球における政治は琉球政府が行うという制度 (間接統治制) が採用された (米国民政府布告第一三号二条、七条)。

 二 沖縄・奄美地方におけるハンセン病政策

 1 戦前

 戦前は、それ以外の地域と同様、癩予防法が適用され、苛烈なハンセン病政策が採られていた。沖縄・奄美地方は、ハンセン病の濃厚発生地として、国家主義的色彩を帯びた無らい県運動が強く推進された。

 2 戦後のハンセン病政策

 ㈠ 米軍によるハンセン病政策

 米軍は、昭和二一年二月八日、米国海軍軍政府本部指令第一一五号を、昭和二二年二月一〇日には、米国軍政府特別布告一三号を発布し、ハンセン病患者の完全施設隔離政策を採った。

 奄美でも、昭和二二年二月一四日、北部南西諸島軍政府命令第五号を発布し、右同様の政策が採られた。

 ニミッツ布告四条が「現行法規の施行を持続す」と規定していること、右米軍指令等は、日本の癩予防法における隔離政策の存続を当然の前提にしていることから、癩予防法は米国統治下においても効力が存続し、同法が適用され、隔離政策が継続されていた。このことは、昭和三六年公布のハンセン氏病予防法附則二条が旧法を廃止する旨規定していることからも明らかである。

 なお、奄美地方は、昭和二八年一二月二五日に本土復帰し、この時点で既に施行されていた新法の体制下に入った。

 ㈡ 沖縄のハンセン氏病予防法によるハンセン病政策

 琉球政府は、昭和三六年八月二六日、ハンセン氏病予防法を公布施行したが、同法は、新法と基本的構造をほぼ同じくするものであり、これに退所規定 (七条)、在宅予防措置 (八条) を設けたものにすぎない。のみならず、ハンセン氏病予防法には、新法にもない公衆と接触の機会の多い場所への出入りを禁止する規定が設けられており (一〇条)、より人権制限的色彩が強い。

 3 ハンセン氏病予防法の評価

 ㈠ ハンセン氏病予防法は、退所及び在宅治療の対象を非伝染性患者に限定しているが、これは当時の医学的知見からかけ離れたものである。

 沖縄においては、昭和二八年、ダウルが外来治療の実施を勧告し、昭和三三年一二月、琉球列島米国民政府公衆衛生部長であったマーシャルが、ハンセン病だけの特別法が不要である旨述べて社会的反響を呼んでいた。また、昭和三五年のWHO第二回らい専門委員会報告では、特別法の廃止が提唱されていた。

 このような経緯があるにもかかわらず、特別法たるハンセン氏病予防法を制定して隔離政策を継続したことの過ちは決定的であり、非伝染性患者の退所及び在宅治療を認める条項を設けたとしても、明らかに当時の医学的知見及び世界のハンセン病政策から程遠い内容のものであった。

 また、在宅治療といっても、ハンセン氏病予防協会という特別な診療所において、専門医もほとんどいないなか、投薬治療が行われていたにすぎず、入院が必要な患者には療養所にしか治療の場所がなかった。つまり、沖縄の在宅治療制度は、貧困な人的物的体制での一般保健医療から切り離された特別法に基づく例外的措置にすぎなかった。

 ㈡ 琉球政府章典 (米国民政府布告六八号) 五条二項は、「総て住民は個人として尊重され、法の下に平等である。生命、自由及び幸福追求に対する住民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の政務の上で最大の尊重を必要とする。」旨規定し、日本国憲法と同様に基本的人権の保障をしているのであるから、隔離政策及び右政策を定めるハンセン氏病予防法が右章典に違反することは明らかである。

 4 沖縄の本土復帰後のハンセン病政策

 ハンセン氏病予防法は、昭和四七年五月一五日の本土復帰とともに廃止され、新法が適用されることとなったが、沖縄振興開発特別措置法五条二項、同施行令二条二項 (別表第三の一三号) により、従来の退所及び在宅治療制度が例外的に継続されることとなった。

 しかし、在宅治療は例外にすぎず、新法廃止まで一般病院での外来治療や退所者の経済的支援等はないに等しかったのであるから、政策の評価としては、沖縄においてもそれ以外の地域と同様の強制絶対隔離政策が続いていたと評価すべきである。

 三 被告の責任

 沖縄では、琉球政府が、昭和三一年七月二〇日、国家賠償法と同じ内容の政府賠償法を公布施行し、琉球政府が違法行為による賠償責任を負うこととなったが、沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律 (以下「沖縄復帰特別措置法」という。) 三一条は、琉球政府の右賠償責任は、沖縄の本土復帰により、国が承継する旨規定しているのである。

 沖縄における隔離政策と日本の隔離政策は、その政策の目的及び性格は基本的に同じであるから、被告が琉球政府の隔離政策に基づく賠償責任を負うことは明らかである。

 以上からすれば、沖縄・奄美地方の原告を他の原告と区別する必要はない。

 第五 損害論

 一 本件被害の特徴

 1 被害の共通性

 絶対隔離絶滅政策による加害行為は、原告らを含むすべてのハンセン病患者とされた者に一律にかつ均質に加えられたものである。

 その現れは、それぞれの被害者によって幾分異なるものの、均一に社会から切り離され、収容所へと隔離され、苛烈な療養所での生活を強いられて今に至っており、その人格、人間としての尊厳を徹底的に破壊されたという点において、被害は共通しており、その深刻さ甚大さにおいて異なるところはない。

 2 被害の累積性

 原告らに対する加害行為は、単に収容という措置の時点にとどまらない。自宅の消毒、残された家族への検診という形で周囲の差別・偏見を形成し助長するなど、重層的に患者は追い込まれた。

 子孫を残すことすら許さず死に絶えることを待つ療養所において、被害は日に日に重さを増し、元の生活に戻ることは一層不可能になっていく。

 療養所という器の中にある間、種々の形での制限や烙印付けが日々原告らを攻撃し、累積的な被害を生み出してきたのである。

 3 被害の現在性

 国家的に組織された加害システムによって作出強化された社会的な差別・偏見は、強力な排除措置がなされない限り温存される。法が存続する限りにおいて、社会的な差別・偏見もそのまま存続し、かつて患者とされた者は少なくとも法廃止の時まで均